月曜日は学校に行きたくない[後編]

小学校の頃、不登校になった2つ目の理由は貧困でした。貧困は、宿題をやっていけば解決する要素の物ではなく、子供の力では解決できない問題です。

原因もハッキリしていました。一緒に住んでいた伯父がギャンブル依存症で、家にあるお金を全部使ってしまうのです。

無断で借金をしたり、私のお年玉貯金も勝手に通帳からおろして使われてしまいました。

給食費は、現金を集金袋に入れて持って行くのですが、そのお金を伯父に使われてしまうのです。

仕方なく、担任の先生には「忘れました」と嘘をついていました。祖母が近所に借りに行ったりしてくれるのですが、度重なり信用が無くなって貸していただけなくなりました。

集金日の3日目くらいになると忘れたフリが通用しなくなるので、仕方なく学校を休むのです。

集金のある日は学校で盗難事件もありましたが、貧乏人は真っ先に疑われます。でも欠席していれば余計な疑いもかけられずにすみます。

「お金が無いから」習字道具とか裁縫道具などの副教材も最低限の物しか買って貰えませんでした。

隣近所にまでお金を借りに行く伯父の評判が悪くて、近所のお母さん方から「あの家の子とは遊ぶな」と言われるようになりました。

担任からは忘れ物が多いダメな子扱いされ、おそろいの筆箱とかが持てないから仲間外れにされ、冬服が無いから他人の目が気になり、どこにも居場所が無く、大人から存在を否定され、とうとうどうにも身動きがとれなくなりました。

中学校の制服代とか、本当に学校に行く意味があるのかな?と考えていた頃に、運動会がありました。

勉強は出来なかったのですが、走るのだけは速かったので、クラス対抗リレーの第一走者に選ばれました。

運動靴が無いので裸足で走りましたがトップでした。その時、みんなに応援されて、褒められて、感謝されて、生まれて初めて存在を認められた気がしました。

小学校には春の小運動会と秋の大運動会があったので、クラスメイトから「あゆは速かったからまたリレーに出てね!」と言われました。自然に友達ができて、気が付いたら不登校は終わっていました。

最初に、「放置されたから問題が解決した」と書いた理由ですが、私の場合は、保護者が全く学校に関心を示さなかったので、担任から体罰を受けていても激高するとか、モンスターペアレントになる事が無かったからです。

もし学校にクレームを言ったとしたら、余計に行き辛くなっていたでしょう。

貧困の問題は、不登校は簡単でしたがお昼ご飯が無いのは辛くて、給食が食べたくて学校に行ったのかも知れません。お金の問題は担任に相談しました。

お子さんの不登校で悩むお母さん。もしかしたら過干渉になっていませんか?

お子さんは不登校と言うかたちを使って、お子さん自身の力ではどうにもならない問題を訴えたいのだと思います。

無理に聞き出さずに話したくなるまで、ゆっくり待ってあげてくださいね。