ACは「母親の愛依存症」なのかも

厚生労働省のHPによると依存症とは人が「依存」する対象は様々ですが、代表的なものに、アルコール・薬物・ギャンブル等があります。
このような特定の物質や行為・過程に対して、やめたくても、やめられないほどほどにできない状態をいわゆる依存症といいます。

依存症とはやめたくてもやめられない状態に陥ることですが、その種類は大きく分けて2種類あります。
「物質への依存」と「 プロセスへの依存」ですとあります。

「物質への依存」に当てはまるのが、良く知られているアルコールや薬物といった精神に依存する物質を原因とする依存症状です。

「 プロセスへの依存」に当てはまるのが、最近、芸能人の不祥事などでも問題になっているセックスや買い物といった特定の行為や過程に必要以上に熱中し、のめりこんでしまう症状のことです。

「どちらにも共通していることは、繰り返す、より強い刺激を求める」とのことなのでAC/アダルトチルドレンとは無縁のように思えますが、「やめようとしてもやめられない、いつも頭から離れないなどの特徴がだんだんと出てくることです。」というところが当てはまります。

つまり、そのことが原因で本人や家族などの誰かが困っていて、生活に支障が出ていれば依存症なのです。

私がAC/アダルトチルドレンという言葉を知ったのは今から4年程前で、自分は両親に育てられていないから育児について自信が無いのだと知人に相談した時に、「それってアダルトチルドレンって言うんじゃない?」といわれたのがきっかけでした。

ADHDを持つ息子の子育てに苦戦していたころで、不登校や、ケンカでの学校からの呼び出しなど、うまくいかないことがあるたびに「私は親に育てられていないから子どもの育て方が分からないんだ」と自分に言い訳していました。

最近では、「毒母」や「機能不全家族」という単語が知れ渡っていますが当時は知りませんでした。育児放棄された自分からすれば、「毒母」だろうが「毒父」だろうが、家族が居るだけマシなんじゃないかくらいに思っていました。

「母を憎む」思いが、「やめようとしてもやめられない、いつも頭から離れないなどの特徴」としてずっと出てきていました。依存症です。

AC/アダルトチルドレンと指摘された頃を思い出すと、私は常に「母親の愛」を追い求めていました。憎んでいるのに「私を見て!優しい言葉をかけて」と願っていました。

夢にまで描いた自分の家庭を持ってたのに、「温かい家庭」の作り方が良く分からなくて、待望の第一子が発達障害を持っていると認めたくなくて、うまくいかないことはすべて「毒母」に捨てられたのが原因だと思っていました。

それなのに、自分の心の中には、「お母さーん。お母さーん。どこ?」と膝を抱えて泣き続けている小さな女の子がいました。小さな女の子は「母親の愛」を探してさまよっていました。

「母親の愛」を何年も探し続けて、「母親の愛」が手に入らないから、代わりにパートナーに「母親の愛」を求めて、負担をかけ過ぎて困らせて、失敗してしまったこともあります。

たぶん、この小さな女の子=過去の自分を見つけてあげられなければAC/アダルトチルドレンは克服できなかったと思います。