ADHDはホントに障害なのか?

うちの息子はADHDです。小さなころから問題児扱いされて、周囲の人間からは「空気の読めないめんどくさいやつ」と言われ続けて来ました。

日本の学校教育はみんな一緒でみんな平等です。空気が読めないADHDの子どもは、みんなと同じことが出来ません。学校でとがったり、はみ出したりすると誰かの目から隠すように特別教室や特別学校に排除されていきます。

発達障害の中でもADHDの学習障害を持たない子どもは、特別教室に入ると授業に満足できなくなります。嫌いな教科ならまだ良いのですが、好きな教科は元来持っている「知りたい欲求」が満たされずに、かえって欲求不満になってしまうのです。

ADHDの子どもは、「注目してもらいたい欲求」を持っています。うちの息子は幼稚園の頃、友達の誰よりも高い所から飛び降りられる事がカッコいいと思っていたらしく、「ねえねえ見て!すごいでしょう?」と言ってみんなの注目を集めてからウンテイなどの遊具から飛び降りる遊びをしていました。

運動神経の良い活発な男の子は女の子たちからモテモテでしたので、ウンテイから飛び降りる遊びが一気に幼稚園内で流行りました。当然ながら幼稚園側が怪我をする可能性のある遊びを直ぐに禁止し、1番目立って遊んでいたうちの息子がみんなの前で「危ないので〇〇君の真似をしてはいけません。わかりましたか?」と注意されました。

しかしADHDのうちの息子は、自分が先生からみんなの前で注意されたことに落ち込むことは有りません。先生から注意されながら、自らみんなの見本となってその楽しい遊びが流行したことと、みんなから注目されたことの方が嬉しく感じたようで、また同じように注目して貰える新しい遊びを考え始めるのです。

ADHDの子どもは小さなころから大勢の前でさらし者の様に叱られることが多いので、叱られ慣れしてしまいます。叱られている時間だけ「はい。はい。」と言っていれば叱っている内容は分からずとも、「もう少し我慢したら先生も疲れて叱るのを止めるだろう」と分かっているのです。

ADHDの子どもは、楽しいアイデアをどんどん出して人を楽しませる名人です。先生から叱られている途中でも、頭の中に新しいアイデアがどんどん浮かんできて気もそぞろになってしまう程のアイデア人間なのです。

ADHDに「発達障害」の「障害」という言葉は何となくピンと来ません。発達障害は、発達の段階や成長が少し遅いだけと説明されることも有れば、脳の機能障害なので治ることは有りませんと説明されることも有ります。

自分が楽しめることに集中して取り組め、へこたれずに何度でもトライできるADHDが本当に障害なのでしょうか?

向いていること、向いていないことを受け入れて、本人が納得していればADHDは素晴らしい個性になります。人の目を気にして空気を読んでばかりいると、誰の為に生きているのか分からなくなります。

障害は誰にとっての障害なのかと考えると、本人が楽しんで生きていられれば、ADHDは障害では無いと思います。